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土讃サッカー戦記

土讃とは土佐(土)と讃岐(讃)の二地域を表す言葉。 高知県民ながら2003年~2010年まで香川県在住経験のある Yasu なる者が、サッカー観戦(主にカマタマーレ讃岐と高知ユナイテッド)や創作活動などについて綴る趣味系ブログです。 (このブログは予告なく書き直されることがあります。ご了承ください ^^; )

   

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歴史散歩 伝武田勝頼墓

高知県香美市には、鉄道ファンから秘境駅として知られる新改駅(しんがいえき)があります。

高知市からさほどはなれておらず、主要国道32号線のすぐ裏手なのですが。



高知らしい山間の自然の中にある駅です。

その近くには…、武田勝頼のお墓があります。
何を言っているんだとお思いでしょうが。新改駅近くには、武田勝頼のものであると伝えられるお墓があります。

そのお墓は大法寺なるお寺のの敷地内にあります。歴史も好きな身として、どのようなものか、愛機で行ってきました。

ただ、山間部の隘路を通ってゆかねばなりません。グーグルマップに載ってなく、ストリートビューもありません(汗)。
用心しながら進みます。ギアは1速と2速のみでゆっくり進みます。

隘路を進むことしばらく、大法寺に着きました。とりあえずほっとひと息です。材木が新しい感じで、修復をされたようです。

案内看板を見れば、江戸時代からある由緒あるお寺であることが書かれていますが。

それを示すように、当時土佐を治めていた山内家の家紋、丸に土佐柏が見えます。
道からそのままお寺の境内に入ってゆくのですが、石段があり下りることができます。が、行き止まりでした…。新しい道ができて従来の道は廃道になったのでしょうか。

石段の脇にあったもの(これなんて言うのでしょうか ^^;)。「明治十七年六月吉日 東川村 國沢寅次」と彫られており。これからも歴史を感じることができます。 

さて武田勝頼のお墓ですが…

案内板がありますが、

けもの道をゆかねばなりません。ちょっとした冒険です。

けもの道をくだれば、鳥居と祠とともに、武田四郎勝頼の名が刻まれたお墓がありました。
お墓を写すのは好きではないのですが、手を合わせたうえで撮らせてもらいました。


この地域には武田勝頼が逃れてきたという伝説があります。
伝説の信ぴょう性は低いとのことですが。かつてこの辺りを治めていた山田氏が甲斐武田氏とつながりがあり、そこから勝頼伝説ができたようです。
ネットで調べれば、他の地域にも武田勝頼伝説があります。
武田勝頼は名将武田信玄の息子で跡を継ぎましたが。織田信長との戦いに敗れて自害したとされます。しかし実は生きて、遠縁にあたる山田氏を頼って土佐に落ち延びたとされます。

ただ山田氏は早くに滅び、勝頼が山田氏を頼るのは道理に合わぬことではありますが。
情報通信もまだ未発達で、隣村のことすら満足に知ることができない時代です。
自分なりに考えるなら。四国は長宗我部元親が四国をほぼ統一したのですが、長宗我部は反織田信長勢力でもあり。
何らかの方法で山田氏の事を知った勝頼は、再起を懸けてどうにかして土佐に落ち延びた。

しかしすでに山田氏は滅び、元親の庇護を受けたか、それともこっそりかは知りませんが観念して土着してひっそりと生涯を終えた。
あるいは、勝頼本人でなくとも残党が土佐に流れ着いて、勝頼を偲び伝説を語り残したと。

ちなみに自由民権運動で知られる板垣退助は武田信玄家臣の板垣信方の子孫を称しているのですが、まさか…!
三菱の創始者の岩崎弥太郎の岩崎家は甲斐武田氏がルーツの説がありますが、信玄・勝頼とのつながりはないので、これは無関係かな?

とまあ、いろいろと空想をします。
歴史散歩の楽しみはまさにこの空想の楽しみでもあります。

そして、このようにひっそりと眠る伝説があることを知っていただけたら、幸いに思います。

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